にせねこメモ

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文字のデザインに筆記具が与える影響

Type& 2015「ロゴの多言語化:デバナガリとアラビア文字

2015年11月21日にType& 2015の「[3]ロゴの多言語化:デバナガリとアラビア文字」を聴講した。これは、まずデーヴァナーガリー及びアラビア文字の特徴についてそれぞれタイプデザイナーであるVaibhav Singh氏およびNadine Chahine氏から簡単に紹介がなされ、さらにラテン文字のロゴと各スクリプト*1版作成の実例が紹介された。その後、実在の日本の会社のロゴタイプを題材に、実際に両氏が各スクリプト版を試作したというものであった。


この後半のローカライズロゴ試作においてお題に使われたうちの一つがWonders! by Panasonicのロゴであった。
ここで注目したいのが感嘆符「!」で、上の縦棒部分の下端がカーブして切り取られ、左側にとがっている。一方で、試作されたデーヴァナーガリー及びアラビア文字版ロゴではそれが左右逆になっていた。図解すると次のようである*2
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アラビア文字ラテン文字とは逆に右から左へと書き、疑問符などの記号も左右反転させて使う(“؟”)ので、デザインが左右反転しているのも納得できるが、一方でラテン文字同様左から右へ書くデーヴァナーガリーでもデザインが反転しているというのは不思議である。
このことは公演中にデーヴァナーガリー版ロゴについて小林章氏がVaibhav Singh氏に質問していたことなのだが、Vaibhav Singh氏はその理由について「その方が自然だから」と返答していた。

筆記具が影響した?

ここからは私の仮説であるが、伝統的に文字を書くのに使われていた筆記具が影響しているのではないかと思う。各スクリプトが伝統的にどのような筆記具で書かれていたかをみていくことで確認してみたい。

ラテン文字

ラテン文字は長らく羽ペンで筆記されてきた伝統をもつ。次の動画で羽ペンの作り方や筆記のやり方が解説されている。現在のラテン文字セリフ書体のデザインは羽ペンで書かれた文字の形を元にしているという。
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羽ペンは平らなニブ(ペン先)をもち、縦方向に動かすと太く、横方向に動かすと細く線がかける。
現在の欧文カリグラフィーで使われるペンにも同様に平たいニブをもつものがあるが、ニブ(ペン先)を上に向けて外側からみたときに、傾きがなく横まっすぐになっているか、あるいはゆるやかに右肩上がりになっている*3かのどちらかのようである。
ペンを当てるときはペン先が水平から反時計回りに角度がついた状態で書かれることが多いようだ。これは、oなどの円形の文字の左上と右下が細くなり、反対に左下と右上が太くなることに影響している。
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(フォントはTimes New Roman)

アラビア文字

イスラム世界ではアラビア文字による書道が発達している。アラビア書道用のペンは葦ペン等の平らなニブをもつ筆記具が用いられる。ペン先は斜めにカットされていて、ニブを上に向けて外側からみたときに右肩上がりになる場合が多いようだ。アラビア文字を書く場合はペン先の角度が直角に近く、ペンを横に向けてに持つ感じになる。次の動画でペンの持ち方が解説されている。
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アラビア文字フォントでも、ペン先を傾ける方向はラテン文字と同様反時計回りでありながら、角度はかなり急峻になっているのがみてとれる。
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(フォントはTimes New Roman)

デーヴァナーガリー

デーヴァナーガリーは伝統的に葦ペンでかかれる。

次の動画では、デーヴァナーガリー用のカリグラフィペンは、ペン先が欧文カリグラフィー用とは逆の傾きをもち、右肩下がりになっているという説明がある。
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実際に文字を書いているところや書かれた文字をみると、ペン先の当て方がラテン文字アラビア文字とは傾きが逆で右肩下がりになっている。
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次の動画では基本的なストロークを紹介しているが、ここで書かれている円は右上と左下が細く、左上と右下が太くなっている。
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全体として、ニブの当て方が逆であることから、ラテン文字アラビア文字とは線の方向と太さの関係が逆になっていることがみてとれる。線の端についても、左上から右下に傾いていることがわかり、これもラテン文字と逆である。
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(フォントはAdobe Devanagari)

まとめ

カリグラフィ用のペンのニブの形状(傾き)の違いと、ニブをどの向きで紙に当てるかについてを次図にまとめた。
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ここで、なぜアラビア文字デーヴァナーガリーで試作ロゴの感嘆符「!」の向きが一致したのかを検討してみたい。

アラビア文字で感嘆符が反転したのは書字方向が反対になるのに合わせたということだろう。

一方で、デーヴァナーガリーは、伝統的にラテン文字とは逆方向の右肩下がりにペン先を当てるため、線の端は右肩下がりになるのが自然であり、線の端が右肩上がりになる要素は不自然であると考えられる。そのためラテン文字と書字方向は同じだが、「!」の縦線が右肩下がりになる形を採用し、デーヴァナーガリーのエレメントに合わせたのではないか。


結果としてアラビア文字デーヴァナーガリーで「!」の形が一緒になったものの、どうして元のラテン文字のロゴから左右反転したような形を採用したのか、その理由は2つのスクリプトで異なっているようにも感じられる。
文字のデザインはそのスクリプトが書かれていた筆記具に影響されるというのは正しそうではあるが、必ずしもそれだけでデザインが決定される訳ではなく、他の要因との複合で最終的な形が作られるのだろう。

*1:この「スクリプト」は、ラテン文字アラビア文字デーヴァナーガリーなどの文字体系のことを指す。用字系、書字系などとも。script.

*2:蛇足ではあるが、“Wonders!”の“s”に当たる部分を、デーヴァナーガリーではs, アラビア文字ではzに相当する文字で転写しているのも面白い。

*3:ペン先に角度がついているものをobliqueという。Difference between an italic, an oblique, and a stub? | Classic Fountain Pensによると、usually about 15 degreesとのこと。